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シャンパンは甘めがお好き
by mayuapple 以前の記事
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![]() 去る土曜日。 いつもの友人とたまにの友人と3人で 下北沢でお酒の会。 タメのきしんは酔ってからが余計におもしろい◎笑 わたしはジャニーズでいうと木村拓哉か松岡。 K-POPだとKARAらしい。 わかるようでわからん。 ただ、わたしはイカレているらしい。 わからん。 自覚ないことがいけないんでしょうね、本物じゃないのでしょうね。 ちえこときしんはヘンだけどかわいい自慢の友達◎ ペースを守るため2日酔いはなし。 そしてその日ははしご酒をし、 日曜日は休肝日と決めました。 そして次の日。 流れで下北沢、前日気になったけど入れなかったお店へ。 16時開店の店へたまたま16時に到着。 お昼をたべていなかったため ちょーちょー腹ペコリ。 呑んじゃったよね、梅酒。 2杯、梅入り。 いっぱい食べちゃったよね、つまみ系。 サザエさん刺身、銀だら西京漬けとか。 おっちゃんに 「よく食べたね~」 「お昼食べ損ねたならしょうがないね~」 と、2時間貸切状態でご飯食べました。 もう。 週末まで今休肝日をつらぬいております。 ひさしぶりなのに酒話ですみません。 わたしも肝臓もげんきです。 ![]() めでたい2つの太陽 あ~なぜ休日というのは こうも早く過ぎ去っていくのでしょ 今年はどこへ旅にいこうかな~ もうちょっと落ち着いたら たまってること、やっちゃお◎ 最近は 洋服とか小物とか手作りをしております なんか落ち着く~ ものつくりの原点だ! 今年は実りの年だと思って いろいろ諦めずにいきたいです◎ ![]() えー 現実逃避 兼 更新怠りません 兼 だいすきな東京タワーをどうぞ 月が大きくてきれいな最近◎ 空にあるものすべてきれいだけど~ やっぱり雲はいちばんです 晴れた空の雲ね 永遠にかたちを変えつつ消えないものは 雲くらいなのかな~ と 今日も想像で元気を取り戻し 妄想でパワー充電をするのでした ![]() 久しぶりに都内の美術館?に行きました。 電車内で気になっていた 歌川國芳展へ この人の画、わたし大好きだったんです~ たぶん、人で作った顔とか 教科書でみたひともいると思う~ ほんとうにすごい 色使いとか繊細な線とか 粋なシャレとか 現代でもまったく古くないよー。 「まさに江戸のグラフィックデザイナーと呼べるでしょう」ってそうね。 画集まで買ってしまった。 2月12日までだって! 画集でも十分だけど 興味あって近くの人はいってみてもおもしろいよー。 ちなみに、國芳は大のねこ好きで 部屋は弟子とねこであふれていたらしい。 親近感♡ ねこの画もいっぱい。 下のは東海道五十三次のねこであらわしたなんちゃら、って。 ![]() 毎年暑中見舞いとかクリスマスとかハガキをくれる友達に こんど歌川國芳のハガキを使おうとたくらんでおります◎ そういえば さくらの写真がでかすぎる。 携帯変えたおねえからので圧縮できなかったー。 自分のはやり方がなんとなくわかった◎ 写真、大きい方がいいのかな? それと、アップしたいこといーっぱいなんだけど そのうち過去も振り返って旅のアップでもしようかな! ではまたね~◎ ![]() 最近のわたしのお気に入りさくら。 2011年はいろいろなことがあって あっという間に終わってしまったんだけど ちょっと振り返って~ 来年のことでも~って思いながら なんかやる気がおきず 放置してしまいました。 そんな中で 離れて暮らす友達たちがたまにくれるハガキや手紙が ほんとうにうれしくてねぇ。 そばにいるだけじゃないんだよね、友達って。 仕事が本当に忙しくなってしまって 転職したのにあれ?って思ってるんだけど~ ひそかに妄想でたくらんでいます。 たくらむだけは自由ですから~◎ TwitterとかFacebookとかいろいろ増えたよね、ほんと。 ブログは23歳からやってるから~ そろそろ8年だ。 でも、ずっと昔からつながっている人とか そんなに連絡とらなくてもわたしのことちゃんと覚えてくれてる人とか 本当に出会いこそ人生だな、って思った1年でした。 あ、知らない間に2011年をふりかえってた!笑 しかも、出会いこそ人生ってブログでずーーっと前に 同じこといった気がする! また、近いうちに更新するね~ みんな、いつもありがとう◎ 本当に、これからもゆるくでいいからよろしくね! ![]() ひさしぶりなのでまずこのコ。 おねえがやっとうちを出ての最近、 実家にしょっちゅう帰っては かわいくなくても送られるさくらの写真。 どーいて(龍馬)こんなに更新がなかったかとゆーと。 10月末にルミネ有楽町がオープンしたでしょ? そこに出店。 その後すぐに今日池袋パルコに出店。 そのディープなポジションにいるために 休みも朝も夜も関係なくめまぐるしい仕事をこなしていたことになります。 その間に10月末、 今まで目黒の事務所だったんだけど、ビルをでなくちゃいけなくて 引っ越しまでこなしたの、このク〇忙しいときに! 今は南青山ということになります。 そしてこんなキレイな自然をみることもできます。 ![]() でもでもね、 またすぐ今度は神宮前の方に引っ越すのです。 そこが新築なので入れるまでの間この南青山ということなので、 ちょうどキレイな時期のいちょう並木をみてやろうと思います。 東京にでてきて12年、初いちょう並木。 楽しみー。 ![]() そして、新店舗のメニュー写真をすぐ海のスタジオでとったのだけど、 埋立地の川。 ブラタモリ好きなわたしとしては、 古地図をイメージしつつの今地図イメージがよろしくてよ。 ブラタモ、第3シリーズはじまったね! 一日かかった撮影の帰り道。 ![]() ブレた東京タワーが美しくそびえていました。 そして最近毎週いくかっぱ橋、なじみの新陽さんのエレベーターは ![]() 無造作すぎるマグネットが今回とてもきれいに並べられておりました。 そんなこんなでわたしは元気です。 ただひとつ、小2からの親友の誕生日当日にメールを送れなかったこと たいへんショックでした。 人間、忙しすぎてはいけません。 ![]() 12年前東京で初めて住んだ町、九品仏。 きれいになりたい女子部のコといつもの喫茶店風カフェにいこうとしたら なんと。。。 松屋になっていた。。。 ショック。 来るたびに店が変わって店が増えて店がなくなって 変化ははやいなぁ。 そこでも変わらない空の色。 ![]() センチメンタルって 元気に暮らしていても たまにわたしにやってくる。 でもこのせつなさは きらいじゃない。 ![]() 今日外出してまた事務所にもどったときー 目黒駅まえでふっと 雲が流れながらきれいなボーダーラインをつくっておりまして 人間の力じゃないなにかに えらーく感動しました。 人間がつくったビルの合間から。 そして事務所に戻って目をやると もうこんな違う様をみせておりました。 ![]() ![]() あのう。 もう10月も半ばですかい! 春にはやっと花が咲いたと思ってた北沢川緑道のまわりが もっさり緑が生い茂ってるー!! て思ったのも9月の最初。 この前の土曜日、朝起きたらのどが痛くなっててね。 季節の変わり目に絶対のどをやられるのは慣れっこで またやっちゃったか~と思って るるる~って洗濯物まわしたりしてたんだけど 筋肉痛のような体の痛さもあってだるいな~なんて思ってたら あれ?元気がでないな~ うん?やる気がでないな~ あ、体がちょー熱い!! って夕方気づいてそっこー寝た。 熱くてつらいしお腹すくし保冷剤でワキとのどとおでこ冷やして Jに連絡して結局夜中だけどちょっと早く帰ってきてくれて 神に見えたひえぴた、おかゆ、解熱栄養ドリンク、レモンウォーター。 後で気づいたけどおかあさんが買ってくれていたひえぴたもあった。 それで次の朝にはすっかり元気! すご。 熱だすなんて、小学生以来なくてたぶん20年ぶりくらいじゃないかな~。 おかあさんに看病された記憶だから~。 そん時は吐いてつらかったな~。 熱出しただけでお茶碗もつのもおっくうなくらい、つらいんですね。 健康ってほんと奇跡でありがたいのね、ってつくづく感じました。 それでこの1週間はハスキー、低すぎ、オカマ声。 仕事の電話もさけて出ずに。 取次ぎされた業者さんにだけはしょうがない、 申し訳ないくらいおすもうさんのような声で 「完璧かぜですね」と笑われたかんじでさ。 この3連休はおとなしく完璧に復活したいと思います。 あ、9月は毎週どっかいったの。 1週 出張で博多。 2週 出張で梅田。 3週 旅で高知。 4週5週 旅でタイのバンコクとクラビ。 ね、飛び回ったでしょ。 あ、それでか! 調子づかないようにしようと思います。 ![]() ひさしぶりに友人のブログをみたらなんか。 書かなきゃ。って思った。 こんなこと書かなくてもいいんじゃ、って思ってたり でも書かなきゃ、って思いながらずっと書けなかったり。 7月4日はおねえの誕生日。 その2011年7月4日に わたしのおかあさんが天国に行きました。 そうです、亡くなりました。 ごく一部の数人にしかこのブログのことは教えていなくて でもわたしのおかあさんを知っている人もいるよね、 びっくりするかな。 おかあさんはわたしが高校3年のときに一度病気になり 5年再発しなければいいっていうのがあって治ってからは8年も経っていたのに また同じ病気がおそった。 しかも手術できない場所に。 わたしが26歳、おかあさん56歳の初夏。 わかる前もよく一緒に旅行いってたし わかった後もいろんなところに旅行にいった。 そのころから去年の春までは、おかあさんの病気を受け入れられなくて 支えてあげなきゃいけないのに、支えと甘えに波があったよ。 でも去年の夏からすごい覚悟ができて おかあさんが後悔しないように やりたいこと、結局は全部はできなかったけど できるように生きれるようにしたよ。 わたしは小さい頃おかあさんこだったらしく、 赤ちゃんのときも他の人に抱っこされず いくらそーっと起きても気配を感じて泣くこだったらしい。 そして、まだ3歳のとき病院から家までの長い距離を 泣いたら抱っこしてあげようと思っていたら 手をつないでずんずんと歩いて帰ったらしい。 わたしが全然覚えていないことを おかあさんだけが知っていて、 でもおかあさんだけが知っていることを わたしがもう聞くことはできない。 おねえはずっとおかあさんこで おかあさんがいないとさみしく、一緒にいなきゃダメな 親離れがなかなかできない人だった。 ただ、「しっかり生きていきなさいよ」 というおかあさんの言葉をしっかり焼き付けて 今までみたことないくらいしっかり生きている。 気がする。 ただ、今も最後の夜に起こしてしまったことを思い出すと泣いているし 6月に病院からの帰り運転しているときにどこかのおばあちゃんが歩いていたら 「おかあさんと変わってほしい」って怒ったように言っていて 言ってはいけないことだってわかってるし そんなことはできないってわかってるけど そう言ったおねえが みにくくみえなくて でも「ほんとだよ」って口にしないでおいた。 去年の7月末に東京福生で1人暮らしをはじめたおかあさんちには その頃ちょうど会社がなくなってしまって失業保険中のおねえが 山梨から高速でしょっちゅう通ってきて わたしも東京にきてからこんなにおかあさんに会ったことないくらい 遠いところ電車を乗り継いで通った。 山梨とわたしんちのちょうど半分って思って決めたようで。 名ホテルのスイートルームに招待できたし 去年は奈良にも贅沢ビップ旅行にいったし 八戸にも久しぶりに女3人で帰れたし 今年が明けたときも一緒だったし 地震がきてすぐわたしが電話したのはおかあさんだったし そのあと地震がきたらヘルメットをかぶりながら こたつでテレビをみてる写真もあるし 春は昭和記念公園でさくらを見に行ったし 5月にはおねえのフォトウエディングもできたし(そのころから急変)。 むすめが言うのもなんだけど、おかあさんは若くてかわいくて肌がすごくきれいなのに 最後の1ヶ月くらいからはすごく痩せて面影がないくらいになっちゃったけど おねえたち夫婦とわたしとJが行ったとき一緒にごはん食べて笑ってた。 それで7月4日の早朝6時半くらい、 わたしは看護士さんが部屋に来るたびおきてたけど おねえもおじちゃんも(おかあさんの兄)そろそろ起きれるだろう時間で逝った。 おねえの誕生日までギリギリがんばったんだろうな。 それからおねえとわたしの連名の喪主で行ったお葬式と荼毘にふされた日は たまたま7月7日、晴れの日。 おかあさんがドリカムの「7月7日、晴れ」がすごい好きだったんだけど たまたま、そうなった。 なんだかねぇ。 おねえとおやじはお通夜の日、ずっと泣いてたな。 おねえの泣き方は本当にひどかった。 おかげでわたしは小さい頃からのそのまま 人前では泣かないのを貫きました。 おかあさんの八戸と山梨の大切な友達と、八戸の親戚と、 おねえとわたしのそれぞれのパートナーとその親と、わたしの親友のみき。 おかあさんに本当に近いみんなで見送りました。 おかあさんの高校時代からの親友2人はおかあさんの還暦も一緒に祝ってくれて おかあさんの代わりにいろいろ心配してくれているよ。 誕生日は初めて自分のためにケーキもいろいろなものも用意して家でやりたい って体力を温存してたおかあさんは 先生の「やむをえず外出許可」をもらって 5人で還暦を祝いました。 8月21日に四十九日を終えたから、それからみんなに言おうと思ってたんだ。 おかあさんの他の親友達にも法要を終えてから伝えたんだ。 ちゃんと看取れてそれだけでもよかったのかもって思う。 今年は震災があったから 急に大切な人がいなくなったり、まだ行方不明のままの人もいっぱいいるからね。 まとまらなくてこうやってすごい長くなっちゃうのわかっていたけど 全然足りないくらい。 おかあさんは、 わたしが足が速くて運動もできてピアノも上手で勉強もできてって ひそかに自慢におもってくれていたらしい。 もちろん誰にも口外していないけど。 自分でいうのもなんだけど、いろいろまんべんなく上位にいる方だった。 「勉強しなさい」なんて1度もいわれたことないけど 負けず嫌いだったわたしは、自分に負けたくない、というクソ生意気で 自分が「こう」と思ったらおかあさんの言うことも絶対きかないという かわいげがない気が強い(今はまぁまぁやさしいよ)そんな子だった。 そういう子だとわかっていたから ただ後ろからみていてくれたんだな、って思った。 最後まで自分の命と向き合ったおかあさん。 体は蝕まれても心は病気に負けなかったおかあさん。 なくなる3日前に1度だけおねえに言ったらしい 「佳奈~ つらいよ~」 それが唯一の弱音だったおかあさん。 自分の体がこんな状態にあるのに 休みのたびに遠いところから通うわたしの体を心配し 出張の日に天気が悪ければ心配し おねえとわたしの心配ばっかりしていたおかあさん。 心配を口に出したのは、病気が再発してからだったけど。 亡くなる前の夜だってちゃんと自分でメロン食べて 足に力が入らなくて体力もひどく消耗するトイレも2人で支えながらも 自分で歩いていった。 ほんとうにすごい人。 おかあさんらしい。 わたしが唯一尊敬している存在、 6月14日にやっと60歳になったばかりのおかあさん。 ケンカもいっぱいしたし きっと傷つけたこともいっぱいしたし 「何をどれだけたくさんしても絶対後悔する」って思ってた通り まだまだしてあげたいことがいっぱいあったよ。 だから来世でまたおかあさんの子どもに生まれて 孝行するんだ、って思ってるよ。 歴史の教科書には残らないその他大勢の1人だけど 気丈でつよくやさしくおっちょこちょいなわたしのおかあさんの 60年の人生はおわりました。 ただ12年も離れて暮らしていたから なかなか実感がなくて でも電話もメールもできないし、たわいのないことも話せないし 実家に帰ってもいつも4人+さくら1匹だったのに3人+さくら1匹だし 一緒に旅行に行くことも外食もできないから やっぱりもうこの世にはいないんだな、ってわかる。 再発してからおかあさんの料理をノートに書いてってお願いしたんだけど、 自分レシピじゃなくておかあさんレシピで作ろうと思ってこの間みたら 炊き込みご飯のレシピはあったけど 米何合か書いてないし。 ただわたしはこの4年で覚悟を強くしてきていたから 普通に笑って 普通に仕事して 普通に運転して 普通に暮らすことができる。 生き物は必ず死ぬから おかあさんがいないことも冷静に理解できる。 ただ、あと10年生きてほしかったな。 そしたら孫も見せてあげられたし ずっと乗りたいって言っていたカシオペアも乗れただろうし 「あんた達が共稼ぎで働いている間、孫にケーキ焼いたりしてあげたかった」 ってこともできたね。 そんな風にやり残しを残してみんな死んでいくのかな。 そんなおかあさんだけど 一番の願いは「かなとまゆが幸せに暮らすこと」だった。 母は強し。 親友ちえこが言っていた 「娘にとって母親はなくてはならない存在」 って、ほんとうにそう思う。 でも普通に生きているご老人さん 80歳、90歳まで生きていることは もっと生きたい人にとってはとても幸せなことなんだよね。 ウメおばあちゃんが死んだのが66歳で、 「親よりは長生きすると思ってたのにな」 ってよく言ってた。 いつも前向きでがんばりやさんだから、 人に相談せずいろいろ知らず知らず溜め込んで 体にがたがきたんだろうな。 今後のブログは おかあさんがいなくなったことが前提の話になるけど わたしの今は「おかあさんがいない普通の日常」をつづるだけなので ふつうに たまにみてやってください。 おかあさん。 最高!!
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